AIに関する雑感(3)

自分の職種と生成AIに関するシンポジウムを視聴した。著名なAI研究者も出席していて、なかなか豪華である。力が入ってるのかな。

詳細なことは省略するが、パネルディスカッションの際に年配の先生の話が暴走して、当初はグダグダ感が漂っていたのだが、最後に面白いところを突いていた。ザックリまとめると、下記のような内容である。

毎日ChatGPTで遊んでいるが、同義語/類義語を探すなど、細々としたことのアシストには大変便利に使える一方で、業務全体をアシストするには「まだ」全然使えないレベル。しかしながら、将来的には別の話で、人間だって何が確からしいかを考えて判断しているんだから、AIが確率に基づいて出力するのと同じようなものだろう。いずれ人に置き換わっても不思議ではないが、その頃には自分はもうこの世にはいないから関係ない。

AIも人の判断も確率というところでは、つまらなさそうにしていたAI研究者が「おっ?」と反応していたように見えたし、最後の捨て台詞にも思える発言には笑ってしまった。ちなみに、AI研究者の話では、ChatGPTの出現で、50〜100年先だと思われていたことが10年〜20年先、下手すると5年先のことになると考えられるようになったそうである。

そんな話を聞いていて思い出したことが二つある。一つ目は、レンズ設計は最適化技術を使っているが、誰もが知っている光学機器メーカーのレンズ設計者が、上司から「このレンズは貴方が設計したのですか?それともCode Vが設計したのですか?」と問われて答えられなかったという話。もう一つは、何かのイベント(日本光学会?)で、最適化技術が進歩すれば、レンズ1枚から出発してどんなレンズでも設計できるようになるのでは?というコメントをした人がいたことである。

これらの話から、最適化技術の進歩でレンズ設計は専門家が不要になる日が来るのかなと思ったこともあるのだが、今のところ、そのような話は耳にしたことがない。自分がその手の話に疎くなっただけかも知れないが、計算機(ソフトウェア)に対して適切なインプットができて、そのアウトプットが適切であるかを判断できる能力を持つ人間がいないと回らない業務なのだと思う。

その一方、別の理由でレンズ設計者の需要が減ったという話はあるそうだ。携帯電話のカメラの性能向上でデジタルカメラの需要が減ったからだそうで、納得できる反面ちょっと寂しい。

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