週記以上日記未満

勉強の記録、愚痴の書きなぐり

「本を読んだものの練習問題ができないという読者は何も学んでいないのだ」(J.J.Sakurai)
「数式を追う気力がなくなったら退役しろ」(鶴田匡夫)
「卑怯もへったくれもない、やられるお前が悪いのだ」(小学生の頃に読んだ漫画の敵役)


  • エンジンの掛かりが遅い

    何もしない三連休だけは回避しようと、結構熱心に受験勉強をした。頭がシューシュー言ってるので、緩く読書かテレビ視聴でもしてから寝よう。

    もっと早くにそうしなければいけないことではあるのだが、しないよりはマシということで。

    あと、これを継続しなくてはいかんのだよなぁ…(笑)

  • 腕時計とスマートフォンとスマートウォッチ

    若者の腕時計離れに関する記事を読んで、違和感を覚えた。

    腕時計離れ自体を批判・否定するつもりはないのだけれど、「腕時計を見ることは相手に失礼だけど、スマホをチェックするついでに時刻を確認するのは違う」というロジックが理解できなかったのである。

    スマホに仕事関係のメールが来ることが当たり前の状況だと、それもアリなのかなと思えてくる一方で、そうだとしても、客(になるかもしれない相手)と話している最中に、メールのチェックをするなよと思う自分がいる。

    結局のところ、どういう考えの持ち主が多数派になるか次第なんだろうけど、個人的には、スマホだから良いとは思えないなぁ。

  • 寝過ぎ

    二度寝したら、昼過ぎまで寝てた…

  • 趣が変わる

    3〜4ヶ月に1度一緒に飲む、異業種同職種の人と飲んだ。

    いつもは資格の勉強についての話が多いのだが、今日はほとんど話をせず、お互いの仕事の話が多かった。仕事にAIを使ったソフトをどの程度導入しているか、そして、それがどの程度実用レベルに達しているか、といった具合である。

    次に会うのは1次試験の反省会だろうか…というか、新型コロナウイルスの影響で、今年度の試験は中止なんてことになったら笑えないかも。

  • 目黒

    東京都庭園美術館で「ルネ・ラリック展」を見てきた。展示されいている作品は勿論、旧朝香宮邸である建物自体を見るのも面白かった。

    庭園内を眺めた後は、白金台で飲食。高級住宅街という印象が強かったのだが、お洒落なお店も多いようだ。また、不動産の価格は、今は麻布十番の方が高いらしい。

  • ファインマン計算機科学

    届いた。何とか読む時間を確保したいところ。

  • 上手い近似

    本質を損なうことなく如何に簡潔な表現にするかが重要で、簡潔な表現ほど汎用性が高いという意味で、物理学の近似法と今の仕事の一部は相通じるものがある。そして、その辺りのバックグラウンドが、センスがあると言われた理由なのかも知れない、という手前味噌な自己分析(笑)

    勿論、本質を抽出する努力を継続することが必要だとは思うけど。

  • 移行終了

    ようやく独自ドメイン内のWordPressへの移行が終了した。他にすべき設定があるような気はするけど、それを待ってからだといつになるか分からないので、まずは独自ドメインでの運用を始めることを優先した。

    ここに至るまで、放置していた期間もあるし、あれこれ試行錯誤した期間もある。自分で認識している限りでは、PHPのバージョンが古いことに気づかず右往左往したことと、「URLに”/wp”がついちゃう問題」に出くわしたのだが、どちらも主原因ではないように感じている。それなら何が原因なんだと聞かれても、答えられないけど。

    いずれにしても、これからは、「さくらのブログ」ではなく、goldenchild.jpでブログを運用することになる。ブログ用のサブドメインも取得したのだけれど、一部画像が表示されていないようなので、トップページからのリンクはサブディレクトリにする。

    どうしてもサブドメインをと言う人は(いないだろうけど)、blog.goldenchild.jpからどうぞ。

  • コレクターの習性

    愛読していた理工書の改訂版や、「こんな本があれば良かったのにと思っていた本が出た」という書評を得ている理工書の存在を知ると、読むかどうかを無視して、つい欲しくなってしまう。困ったものである。

    単なる「積読」だけなら、ある程度の時間経過後であれば、「買ったは良いけど読んでないじゃん」で処分するのだけど、理工書だと「そのうち興味が復活して読むかも知れないし、その時絶版になっていたら悲しいし」となってしまうので、話が違ってくるのである。

    今日も、本棚の見栄えを良くするためのインテリアが増えてしまった…

  • 責任は押し付けた者勝ち

    東洋経済オンラインの”「人望のないゴーン」逮捕が招いた意外な副作用”という記事が面白かった。確かに、自分の勤め先を見ていても、リーダーに人格は必要なのだろうか?という疑問が湧いてくる。能力のない人格者と人望のない敏腕経営者の二択にするのは極端だと思うが、確かになぁ、とは思う。

    日頃の感覚から言うと、経営者にとっての「正義」とは、「自分の思い通りになること」でしかなく、法律遵守と言っておきながら、法律の範囲内で上手くやるのではなく、経営者の思い通りになるように「無理を通して道理を引っ込めろ」という感じがしている。もう少し好意的な表現をすると、法律的にできないことを知ってしまうと、自分の行動や思考を制限してしまうから、それを考えないようにしている、とでも言えば良いのだろうか。

    それくらいやらないと、会社は大きくできないのかも知れないが、大きくなった会社の舵取りをするのも同じ考え方で上手く行くのかは、私には想像も及ばないところである。

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