月: 2024年2月

  • AIに関する雑感(4)

    「生成AIで世界はこう変わる」(今井翔太、SB新書)を読んだ。ちなみに、先日書いた「著名なAI研究者」は、この本の著者である。各種の記事などで見聞きたことと重複する内容も少なからずあるが、いくつか印象に残ったことがある。

    生成AIが創造的知能を実現できた理由として、説得力があるとされる説の一つが、「人間の創造的とされてきた作業の大半は、過去の経験の中から、価値ある新しい組み合わせを見つけることであり、生成AIは膨大なデータからの学習で、それを見つけることができるようになった」というものだそうだが、これはイノベーションの話そのものである。「イノベーション」「組み合わせ」「既存」で検索すれば、そんなことを書いた記事が色々出てくる。敢えてもう一つ加えるなら「シュンペーター(シュムペーター)」だろうか。著者もそれを意識して書いたのではないだろうか。

    プロンプトエンジニエアリングに関するスキルの重要性は、先日レンズ設計について書いたことと本質は同じだと思う。その一方で、入出力に人間の介在が必要な業務であっても、誰が介在するかの問題はある。今の自分の仕事だって、当分は人間の介在が必要だろうが、その人間が自分ではなくなる可能性はここで書いた通りである。

    生成AIの原理的なことは詳しく書かれている訳ではないので、そこは英語の勉強を兼ねてWolframのブログを読みたいところではある。日本語で解説を書いている人もいるようだが、オリジナルを読みたい反面、試験勉強があるので優先順位は高くはない。

    日経XTECHの記事で、私の業務に関する資格試験のいくつかをChatGPTに解かせてみた、というものがあった。予備知識のない一般の人よりは優れているそうだが、解答時にその根拠も書かせるようにした結果を確認したところ、専門家でもすぐに妥当性が判断できないようなハルシネーションが存在しており、その厄介さを実感する結果となったそうだ。先日のシンポジウムでも、現状はハルシネーションが最大の問題であるという話だったが、その対策についても色々と提案されているそうである。これが解決すれば、今の自分の仕事は自分以外の人間が介在しても良い、ということになるだろうか。

    原理的な理解は別にして、一周回って自分の頭の中は整理できたように思う。まぁ、変化の激しい分野なので、そのうち違った話が出て来て、再び色々考えたくなるかも知れないけど。

  • 上野〜湯島〜神田〜秋葉原

    最初に「ウスター美術館展」を観たのと、神田明神から秋葉原まで移動したのが2週間前との違いである。ウスター美術館は、人が多くて萎えたのと、微妙に自分の心の琴線に触れなかったという感じ。どちらについても文句を言っても始まらないので、気を取り直して移動する。

    湯島天神の梅は先週がピークだったような気がするけど、今日も梅を見ながら甘酒を飲んだので、まぁいいかという感じ。一瞬神田明神で甘酒を飲むことを考えたけど、やはり梅を見ながらだよなぁということで。

    梅の花びらが絶妙なところに落ちてきた。

  • AIに関する雑感(3)

    自分の職種と生成AIに関するシンポジウムを視聴した。著名なAI研究者も出席していて、なかなか豪華である。力が入ってるのかな。

    詳細なことは省略するが、パネルディスカッションの際に年配の先生の話が暴走して、当初はグダグダ感が漂っていたのだが、最後に面白いところを突いていた。ザックリまとめると、下記のような内容である。

    毎日ChatGPTで遊んでいるが、同義語/類義語を探すなど、細々としたことのアシストには大変便利に使える一方で、業務全体をアシストするには「まだ」全然使えないレベル。しかしながら、将来的には別の話で、人間だって何が確からしいかを考えて判断しているんだから、AIが確率に基づいて出力するのと同じようなものだろう。いずれ人に置き換わっても不思議ではないが、その頃には自分はもうこの世にはいないから関係ない。

    AIも人の判断も確率というところでは、つまらなさそうにしていたAI研究者が「おっ?」と反応していたように見えたし、最後の捨て台詞にも思える発言には笑ってしまった。ちなみに、AI研究者の話では、ChatGPTの出現で、50〜100年先だと思われていたことが10年〜20年先、下手すると5年先のことになると考えられるようになったそうである。

    そんな話を聞いていて思い出したことが二つある。一つ目は、レンズ設計は最適化技術を使っているが、誰もが知っている光学機器メーカーのレンズ設計者が、上司から「このレンズは貴方が設計したのですか?それともCode Vが設計したのですか?」と問われて答えられなかったという話。もう一つは、何かのイベント(日本光学会?)で、最適化技術が進歩すれば、レンズ1枚から出発してどんなレンズでも設計できるようになるのでは?というコメントをした人がいたことである。

    これらの話から、最適化技術の進歩でレンズ設計は専門家が不要になる日が来るのかなと思ったこともあるのだが、今のところ、そのような話は耳にしたことがない。自分がその手の話に疎くなっただけかも知れないが、計算機(ソフトウェア)に対して適切なインプットができて、そのアウトプットが適切であるかを判断できる能力を持つ人間がいないと回らない業務なのだと思う。

    その一方、別の理由でレンズ設計者の需要が減ったという話はあるそうだ。携帯電話のカメラの性能向上でデジタルカメラの需要が減ったからだそうで、納得できる反面ちょっと寂しい。

  • 今後のことを考える

    休みなんだけど、今後の業務の方向性について色々と考えているが、派手な打ち上げ花火みたいなのは無理ということだけは確かである。

    前任者が上辺の(本人は汗をかかずにすむ)業務改善は一通りやっているので、他部署を動かすとか、時間と労力を掛ける必要があるものだけが残っている感がある。前任者はそれから逃げたのかも知れない。

    「現在の問題は、ただ鉄と血によってのみ解決される」ということなのだろう。

  • 出だしから躓く

    久しぶりに砂川重信の「量子力学」を開いた。試験勉強が最優先だけど数式を追う気力は残っているので、気分転換に読んでみようと思った次第である。ちょっと曖昧な記憶だが、大学3年か4年の頃、大学生協で一番売れている量子力学の教科書だということを知り、実物を見て心惹かれて購入したように思う。

    この本は、水素原子についてのSchrödinger方程式を演算子法で解いていること(一度は計算をフォローした)や、第二量子化(一度は計算をフォローした)や量子電磁気学の入門的なこと(サッと眺めただけ)まで書いてある割にはコンパクトにまとまっており、それでいて、必要な計算も丁寧に説明しているのが魅力だと思っている。

    ただ…最初はコンプトン効果の説明なのだが、書かれていることを理解するのに随分と時間をかけてしまった。落ち着いて考えてみれば、金属に光を照射したら際の散乱光の波長が入射光の波長と異なるという事実と、光量子説に基づいて、運動量とエネルギーの保存を考えれば理解できるという、特に難しくない内容なんだけど。大学の講義でも学んだ訳だし、些か恥ずかしいものがある。

    少しずつでもこの手のコトをやっておかないと、冗談抜きで何もしなくなってしまいそうなので、時折書くようにしておこうと思ったが、多難な船出である(苦笑)

  • 逃亡者

    上司が会社を去り、自分が後釜になってしばらく経った。彼の去り際の言葉が本音だとすると、今の立場を維持し続けるのが困難になったという意味では逃げきれず、色々なことを放り出していなくなったという意味では逃げたということになる。ここで書いたように、嫌なことを避けて美味しいところだけを欲しがった結果だとは思うのだが、年齢的にハードルが高い状況で、自力で逃げ場を確保したのは立派だと思う。

    引き継ぎらしいことはほとんどなかったが、それ自体で困ることはなかった(彼にもその自覚はあったようだ)。その一方で、私には、彼のような狡さや大局観はないので苦労することはあるだろう。それは引き継げるようなものではないので、経験を積むしかない。

    今までとの一番の違いは、自分の判断が与える影響の大きさである。これまでも何らかの判断はしていたが、これからは「最後の砦」的な要素が生じるので重みが違う。自分の裁量で決めることができるという充実感と、自分が決めなければいけないというプレッシャーの両方を感じながら仕事をしている。「立場が人を育てる」というのはこういうことを言うのだろうと改めて思う次第である。

    また、これを機会に初心に帰らなければいけないと思ったこともある。以前から身につけようと思っていたスキルがあるのだが、そのスキルを身につけられる状況から逃げたことで、何一つ身についていないことに気がついたのである。逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…

    そんなことを考えながら、愛読している業界関係者のブログを読んでいたら、ここで書いたことと同じようなことが書かれていた。そのブログの主を盲信するわけではないけれど、感覚的にしっくり来る。「君は生き延びることができるか」(by 永井一郎)ってところだろうか。

  • 湯島〜神田

    甘酒を飲みながら梅を観たくなったので、湯島天神に行った。満開にはまだ早かったが(来週が見頃かな?)、しっかり咲いている木もあったので、甘酒を飲みつつ眺めてきた。

    せっかく都内に来たし、徒歩で大した距離ではないので、神田明神にも行ってきた。こちらでも甘酒を飲みたくなったが、それは別の機会にということで。

  • 亀有

    以前書いたように、こち亀の聖地に行ってみた。それ以外の目的はなかったので、亀有駅周辺を散策して、各種の像や漫画に出てくる場所を眺めて満足したところで撤収。柴又と比較して、かなり賑やかな場所だった。行ってみないと分からないものである。

    またこち亀を読んで、違った興味が湧いたら来ようかな。

  • サラリーマンだから

    3〜4ヶ月に1度一緒に飲んでいた、異業種同職種の人が異動になり、職種も異なるものになった。しかも、横浜に持ち家があるにも関わらず、勤務地が西国である。役職定年が近いので、その前に転職先を見つけたいけど思うようなものがない、という話は聞いていたので、その時期が来て子会社に出向になったのかも知れない。本人も「サラリーマンだから仕方ない」的なことを書いていたが、何とも世知辛いものがある。

    同業種の社外研修で知り合って以来、10年以上の付き合いであり、馬鹿話も結構していた人なので、また一緒に飲めればと思っている。一時帰省の名目で月に一度帰ってくるそうなので、そのタイミングで声を掛けてもらえればと返しておいた。こういう時にどういう表現をするのが良いか悩んだが、結局上手い表現が見つからなかった。

  • 著作者人格権

    「セクシー田中さん」は昨年通しで観た唯一のドラマで、すごく楽しめた。9話と10話がそれまでとは微妙に違う感じだったのだが、その理由が分かったと思ったら…結構ショック。

    「原作者には会いたくない」って言っちゃってる人、著作者人格権(同一性保持権)という言葉を知っているのだろうか。知っていたとしても、こういう人たちは、自分の権利を声高に叫ぶくせに、他人の権利のことは何も考えていないんだろうな。

    ググってみたら、著作者人格権に言及したデイリー新潮の記事が出てきた。特許の例えは意味が分からなかったけど…

    あと、多くの記事に最後に書いてある「いのちの電話」は、自殺に関する記事を書くための免罪符みたいで気持ち悪い。