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朝から嫌なニュース。試合を見ていないので何とも言えないが、見ない方が良かったのかも知れないし、ミラン戦の大逆転が空しく感じられる。クライフが監督だったドリームチームがCL(当時はチャンピオンズカップ)決勝でミランに0-4で負けた時も衝撃的だったけど、アウェーで0-4、ホームで0-3はそれ以上にキツいなぁ…リーガで優勝したから何もしなくても良いということにはならないだろう。
惨敗の理由についての考察はNumber Webの横井伸幸氏の記事が「なるほど」と思える内容だった。このまま何もしないと本当にサイクルの終わりが来てしまいそう。
3月の健康診断で、初めて心電図で引っ掛かった。虚血性変化というもので、ググってみたら狭心症で出るものらしく、チキンなのでちょっとビビっていたのだが、精密検査(心エコー)の結果は何の異常もないという結果だった。
この連休は帰省しないので、大学の同期とSkypeで話をした。こちらはMacBook Pro内蔵のカメラで動画付きだが、27インチのディスプレイをメインにしているのでMacBookは机の脇にあり、先方は私の横顔を見ながらの会話である。一方、友人はカメラ無しなので、こちらは少々物足りない感じだったが、お互いの近況報告のような感じでまったりと話をした。
近所のスーパーに買い物に行った。奇麗な青空だったけれど、空気は少々冷たい。横浜では3月下旬から4月上旬の気温だが、この時期の札幌と同じような感じだった。この時期の札幌は、平年並み(やや高めの方がより好ましい)だと暑過ぎず寒過ぎずで何をするにも快適である。来年は帰省するだけの余裕を持てるようにしたいものだ。
先日、一文の長さと読み易さの相関を実感する出来事があったことを思い出したので、備忘録として書いておこうと思う。
某所からの英語翻訳文が死ぬ程読み難かったので、元の日本語文を読んだらこれも読み難かった。一文が長いために修飾節がズラズラと並んで何が何を修飾しているのかが分かり難くなるので、日本語の段階で読み難くなり、英語翻訳だと更に読み難くなるのである。
自分が文章を書く時もダラダラと長い一文を書いている気がするので、気をつけなければ。
web R25の記事で、下記の記述が目に留まった。
“ゆとり”というレッテルを貼られることに対して強いフラストレーションを感じている“ゆとり世代”の若者が多数存在することが分かる。
「若者」じゃない、と突っ込まれそうだけど、「ゆとり」を「バブル」に置き換えても同じではないだろうか。自分はバブル崩壊後の就職氷河期前半といったところで、バブル世代に呆れることが多かったが、彼らが望んでそうなった訳ではないのもまた事実だろう。
「○○世代」というレッテルが嫌なのであれば、他との違いを見せる努力をするしかないと思う。
GWの最終日にしてやっと勉強のリズムが掴めたというか、大学受験の時の感覚が戻ってきた感がある。今年の合格を狙うよりも来年への貯金を少しでも増やすことが主目的になっているが、これはこれでありだろうし、今年の点数が良ければそれに越したことはない。
自乗(誘電率)の平均を取ってから平方根を取る、ということではない。複数枚構成のレンズを単一の屈折率で表すための便法である。ペッツバール和(像面湾曲)の評価に使う量で、薄肉レンズでの収差補正をする時に出てくる。手元の文献にも書いてあるんだけど、どういうものだっけ?ということで調べていたら、某セミナーのテキストの中に記載があるのを発見して、スッキリできた。6月以降の趣味で使おう。
「仕事しなくていいから受験勉強しろ」って…(笑)
近所の席の人が海外出張者との電話中に「まだメール来てないんだけど、時差で遅れてるのかなぁ」…隣の人にそういう問題じゃないと突っ込まれていたが、微笑ましい勘違いだと思う。