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交渉学の本や記事を読むと、交渉学は相手を言い負かすためのものではないとか、所謂「Win-Win」みたいな記述が目に入ってくる。しかしながら、現実には、相手を言い負かして自分に都合の良い結論にすることが目的になることが多い。訴訟はその最たるもので、その手の文書を読んでいると気分が悪くなってくることすらある。例えば、証拠書類から自分等に都合の良い記載だけを抽出して、身勝手な主張を繰り返すというものであるが、これを上手くやれる人が弁護士として優秀だということなのかも知れない。
契約書というのもある意味面白い。最初はひな形を案件毎に小修正してお仕舞い、みたいなことを想像していたのだが、本来の考え方は異なっている。まずはその案件の骨格となる取り決めがあって、次にそれらを補足する取り決めがあって、さらに細々としたことを取り決める…みたいな流れがあって、それらを法律に違反しないよう、かつ、個々の取り決めの間に矛盾が生じないよう構築する、という流れだそうだ。言われてみれば当たり前だが、本来一から構築すべきものを、ひな形を使って時間短縮しているだけである。
考えてみると、この考え方は別に契約書固有ではない。数学の受験勉強で解法パターンを習得するのも同様で、パターン丸暗記だと、そこから外れた問題はお手上げなので、定理・公式を理解した上での時間短縮法と考えるべきだろう。弁理士試験の論文試験も、「定理・公式」を「法律」に置き換えれば同じことである。
結局のところ、論理的に考えることが重要になると思うのだが、自分の思考パターンには、理系(物理系)であることが影響していると思うことがある。前提として普遍(不変?)の原理原則があって、何事もそれと矛盾してはいけない、みたいな考え方だが、これが交渉事で有害になっていることもあるのかな、と。交渉では、正義とか道徳というものが普遍の原理原則になる訳ではないし、物理法則とは異なり(*1)、法律には色々と解釈の余地が存在する。また、仕事が上手く進めば自分が多少割を食っても…と考えるところがあるので、そこをつけ込まれることもあるだろう。そこが「狡さが足りない」と言われるところなんだろうなぁ。
都内に出張しての業務が16時半頃に終わったので、上野に寄って「大英博物館展」を見てきた。多くのサラリーマンはまだ仕事をしている時間帯でも結構人がいたので、休みの日だとかなりの混雑なのかなと想像した。
美術館・博物館に行くのは一体いつ以来か全く覚えていないのだが、今後そういう機会を増やせればいいなと思う。
今日も不要な書籍などの整理をしたが、録画した番組の消化もあったので、予定通りには進まなかった。肝心なところは今月中に終わらせたいが、書籍や研修テキストの自炊に時間が掛かりそうなので、ちょっと微妙かな。
試験の自己採点が終わった後は、もっと趣味の物理が進むと思っていたのだが、これも当初の予定通りではない。職場での立場が変わったことで、自宅でも仕事関連の本に目を通す時間が増えたことが大きいと思っている。管理職という立場上、職場で露骨に「勉強してます」って行動は気恥ずかしいのだが、そんなことは気にしない方が良いのかなぁ(苦笑)
出張の後でハイボールとミックスナッツを買ってグリーン車に乗って帰ったのだが、帰宅してからも結構な量のウィスキーを飲んだ。マッカラン12年、山崎12年、余市シングルカスク1987年といったところを飲んだのだが、余市は買って直ぐに開封しているはずだから、8年経っても飲み切っていないということになる。以前に比べて自宅でウィスキーを飲む機会が格段に減っているのだが、それにしてもなぁ…という感じ。購入時の味を維持しているとは思えないし(苦笑)
このペースで飲んでいくと、今月中には全てが空き瓶になりそうである(そもそも沢山ある訳では無い)。ここ何年も日本酒最優先という感じで飲んできたけど、ウィスキーもいいものだ。
昨日と今日、二日続けて飲み会だった。
昨日は、異業種同職種の飲み会で、弁理士試験の話を中心に面白かった。
今日はいつのもの飲み仲間とで、昨晩急遽決定したのだが、言い出しっぺが大きく遅刻してきた。一体何なんだろうと思ったら、マンションの押し売りが来て、13時から夕方まで粘られて、家を出るのが遅くなったそうである。来週もまた来るから誰か一緒に対応してくれないかと言われたので、ある先輩が同席することになった。第三者的には笑える話だが、本人はたまったものではないだろう。