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先日ニューラルネットワークを「フーリエ変換っぽい」と書いたが、入力信号から特徴量(スペクトラム)の抽出をすると考えれば良いわけで、見当違いでもなさそうだ。ニューラルネットワークがフーリエ変換っぽいというよりは、特定の事例がそうなのだろうとは思うけど。
以前は2月に鎌倉の荏柄天神社に行って、梅を見ながら甘酒を飲むことが多かったのだが(*1)、転職してから行った覚えがない。今年も3月になったし、時期を逸したと思っていたら、昨日のニュースで湯島天神の梅が見頃だと言っていたので、言ってみることにした。
梅は荏柄天神社よりも沢山あり、建物も立派で、出店も多い。しかしながら、それ以上に人が多くて人に酔いそうだった。それでも甘酒を飲みながら梅を眺めて来たので、そこそこ満足である。
国立科学博物館で「千の技術博」を見た。昨年11月にも一度来ているのだが、そのときは、オンラインチケットを購入していたにも関わらず、その場の勢いで見ることにしたため、オンラインチケットのことをすっかり失念してしまったのである(苦笑)
土曜の午後だからか、開催終了日の前日だからかは分からないが、開場は激混みで、サラッと眺める程度で会場を後にした。
その後で、エキュート上野にある蕎麦屋「蕎香」で「5種野菜のかき揚げそば」を食べる。このお店、昨年購入した「立ち食いそば名鑑120」に載っているのを見て興味を持ち、何かの展覧会を見る際に立ち寄って以来、上野に来る際には、ここで蕎麦を食べている。石臼で挽いた二八蕎麦を提供しており、とても改札内の蕎麦とは思えない(勿論、値段も普通の立ち食い蕎麦とは違うけど)。
来週金曜の夜に「奇想の系譜展」を見ようと思っているので、その際にも立ち寄りたいと思っている。
休日なんだけど、ちょっと流行り物の話を見たので、仕事の話も含めて書いてみる。
以前はビッグデータ、最近はAIと、自分の業務に関する分野でこの手の話に興味を持つ人は少なくない。それ自体は悪いことではないのだが、盲信とまでは行かなくても、それを使って何かやることに意義があると考える人には、手を焼かされる。自分の周囲だと、そういう人は、他人の金と責任で自分の好奇心を満たしたいだけなのである。
自分の業務に関連する話について、少し真面目に書くと、膨大なテキストデータから何らかの傾向を掴みたいとか、目的に最適な文献をピックアップしたいという需要があるのだが、双方に共通しているのは、所望のアウトプットが得られるかどうかはインプット次第であり万能性を期待するのは無理である。現時点では、一次フィルタとして調査対象を絞り込むために使うのがいいところで、それでもインプットに強く依存するという話を、実際にやっている人から聞いたばかりだ。これは機械翻訳についても同様だそうである。
さらに、過去の経験を書くと、ある調査会社の、自社が参入している分野に関する調査結果を見たところ、どう考えても入るべき自社の技術が書かれていない。それは自社と他社では同じ意味を示す用語が違っていたからなのだが、未知の競合企業を知るためには、事前に未知の競合企業の「方言」を知らなくてはいけないということに他ならない。自社も含んだ結果が得られるように改良するから費用を出して欲しいと言われたが、金を払ってモルモットになるようなものである。金に余裕がある大企業であれば、先行投資としてそうすることも可能だろうが、中小企業の弱小部門には無理な話だ。きっぱり断ったら、その会社の営業からは連絡が来なくなった(笑)
その一方で、顔認証や外観検査のような画像処理の分野では、AIの実用化が進んでいるようだ。先日の出入国で顔認証ゲートを通過した際に、これもAIなのかなと思ったが、日本ではパナソニックとNECが競合しているらしい。自社内でもAIを使った画像処理をやっているようなので、仕事としてこなすだけでなく、楽しめると嬉しいのだが、どうなりますか。
ある弁護士のブログを読んで、勝手に妙な親近感を抱いてしまった。
「なかなか一度その境遇にハマったら抜け出すのが厳しい,そんな環境で足掻くしかない人たちが一定程度居る」と書かれているのだが、自分の場合、幼稚で我が儘な人の側に置かれて緩衝材的な役割を果たすというか、「こっちを宥め賺しておけばOK」みたいな、そんな役回りが多いんだな、と。
あるニュース記事を読んでいて気になった言葉。CPUと何が違うのか、Wikipediaを読んで、分かったような、分からないような。それ以前に、テンソルとベクトルと行列の区別が(苦笑)
その勢いのままに、WikipediaのTensorFlowの項目を読んでみたら、重要なのはAIのエンジンではなく、どんなデータで学習させるかだと書かれていた。感覚的なものでしかないけれど、そうだろうな、とは思う。
ある御仁に上記内容を話してみたら、全く話が通じなかった。ビッグデータとかAIとか、言葉に踊らされちゃあダメだって言ってるのに。「話せば分かる」なんて思っちゃいけないというか、理解して貰おうと思うこと自体が間違いなこともあると改めて認識した、午後のひととき。
東京都美術館で開催されている「奇想の系譜展」で、伊藤若冲の「旭日鳳凰図」の展示が今日までなのだが、行けず仕舞いで終わってしまった。金曜日に行こうと思っていたのだが、体調の問題で差し控えることにしたためである。久しぶりに見ることができると思っていたのだが…イベント自体は4月7日までなので、それまでに一度は見に行こう。
SmartNewsでこの本に関する記事を読んで、気になったので購入してみた。自分が期待していたことは書かれていなかったが、私がこの本が気になった理由と、著者がこの本を書いた意図が違うようなので、致し方ないと思う。
ただ、今の自分が感じているストレスは、例えば試験勉強のように、仕事に関する事柄が自分の時間に影響していることで、私から見て生き生きしているように思える人は、仕事意外に夢中になれることがある人かな、ということに改めて気づいたので(*1)、この本を読んだ意義はあるかなと思う。